【本要約】嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか

悩み人

「落合監督」という人の名前をよく耳にするけど、どのような人だろう・・・

もちパン

そんなときは、鈴木忠平が著した「嫌われた監督」をおすすめするよ!

記事の信頼性

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それでは、早速、解説していきたいと思います!

落合博満は、日本のプロ野球選手であり、広島東洋カープや西武ライオンズなどで活躍した後、広島東洋カープ、中日ドラゴンズなどの監督を歴任した人物です。1954年11月20日に大阪府で生まれました。

落合博満は、1977年から1987年まで広島東洋カープで三塁手としてプレーし、その後、1988年から1992年まで西武ライオンズでもプレーしました。彼は9回のNPBオールスターに選ばれ、プレーのキャリアで3度のMVP賞を獲得しました。彼の通算成績は、打率.293、510本塁打、1,564打点でした。

選手引退後、落合博満は監督に転身し、2005年に東北楽天ゴールデンイーグルスを率いました。その後、2009年から2011年にかけて広島東洋カープを指揮し、2011年には17年ぶりのセントラルリーグ優勝を果たしました。また、2014年から2017年まで中日ドラゴンズを率いました。

落合博満は、積極的で革新的な指導スタイル、そして選手の育成に重点を置いた指導法で知られています。彼は、日本野球史上最も偉大な選手や監督の一人として広く認知されています。

目次

第1章 川崎憲次郎 スポットライト

2004年、監督に就任した落合 博満。

選手の体調は機密情報。お金を払って観に来るファンには知る権利があるという声に対して外部に背を向け、チームの内部を向き、「すべての選手にチャンスがある。」と宣言し、キャンプ初日に紅白戦を行った。

39歳就任の星野監督とは真逆の大型トレード。プロの概念を変え、キャンプの門限を撤廃。甘やかし、縛りつけはなしとした。主力、ベテラン選手には自身に任せるという意味で白紙のメニューを渡した。

その結果もあり、1年目でリーグ優勝した。

1年をかけて、戦力とそうでない者を見極めた。13人を戦力外通告、数人のコーチ、球団スタッフとも袂を分かった。それらは怪我人などの内部情報を外部にリークしていたと思われる人たち。

第2章 森野将彦 奪うか、奪われるか

2005年、2年目の落合は意図的にチームから遠ざかる。俯瞰できる場所から見ている。

記者泣かせの落合監督。取材してもコメントらしいコメントをしてくれない。「(記者たちに向かって)お前ら、もっと野球を見ろ。観てりゃあ、俺のコメントなんかなくったって記事を書けるじゃねえか。

ここから毎日バッターを見ててみな。同じ場所から、同じ人間を見るんだ。それを毎日続けてはじめて、昨日と今日、そのバッターがどう違うのか、わかるはずだ。そうしたら俺に話なんか訊かなくても記事が書けるじゃねえか

チームにとっての聖域、20年間不動のサード立浪にメスを入れる。1年目優勝、2年目2位と結果を出しているのに、わざわざリスクを冒して求めるものがある。試合中いつも座っているベンチの左端から、三遊間がよく見える。これまで抜かれなかった打球が、年々抜けてしまっている。アウトにできたものがまた一つヒットになってしまったと考える。これが立浪という聖域にメスを入れた理由となる。

プロ野球には、安全圏がない。すでに全てを手に入れているものも、監督でさえも、全員が等しく奪うか、奪われるか、その緊張の渦中にいる。

なぜ、自分の考えを世間に説明しないのか?「俺が何か言ったら叩かれるんだ、言わなくても同じだけど。どっちにしても叩かれるなら、何も言わない方が良い」「別に嫌われてもいい、俺のことを何かいう奴がいても、俺はそいつを知らないから

第3章 福留孝介 二つの涙

2006年、落合から福留に「お前はもっと数字を残せる。一流ってのはな、シンプルなんだ。前田を見ておけ(広島カープの前田智徳)」落合がこれまでで最も影響を受けたバッターは土肥健二。土肥の神主のお祓いような構えを落合も真似し、三冠王になった、神主打法は落合の代名詞となった。

第4章 宇野勝 ロマンか勝利か

2006年、セ・リーグを優勝した中日は日本シリーズでは日本ハムに敗れた。落合は勝つための野球を追求した。「打つことは良くても3割まで。でも守りなら10割を目指せる。勝つためにはいかに相手に点をやらないかだ」打てるよりも守れる者を試合に出すという合理性の追求によって勝率を高めると同時に、落合の野球はつまらないと言われる要因ともなった。「勝たないと意味がない、何の意味もない」

第5章 岡本真也 見方なき決断

2007年、セ・リーグを制し日本ハムとの日本シリーズ第5戦、日本一に大手をかけていた。中日の投手は山井大介、3回から血豆が潰れて出血していた。早めに投手交代になるかと思われたが、毎回パーフェクトピッチングをし、8回も誰も塁に進ませずに抑えた。日本シリーズで完全試合という名を残すことになるかもしれないというところで、落合は9回のマウンドに岩瀬を送った。

防御率1点台(1試合9回投げて1点しか失わないということ)の岩瀬に変えることで、日本一がかかった試合を勝ちにいくという意志を持った決断だった。チームは52年ぶりに日本一となった。この采配への反響はとても大きく、指導者や解説者がコメントを寄せた。

第6章 中田宗男 時代の逆風

5年10年先の戦力を補強しようとするフロント、スカウトに対して、今、活躍できる選手を求める落合。若手に機会を与えるのではなく、ポジションを勝ち取った者に与える。

2007年の日本一以来、落合のイメージは「冷徹非情」ロマンと引き換えに日本一を勝ち取った男というものになった。逆に「正力松太郎賞」を受賞した。その年にプロ野球の発展に最も貢献したものに贈られる賞で、長嶋茂雄、王貞治らが名を連ねる球界最大の名誉の一つ。それでも一般的な落合への評価は冷徹というイメージがつきまとう。「俺が本当に評価されるのは、俺が死んでからなんだろうな」と言葉を残した。

2009年WBC日本代表要請に、中日の全選手が全員辞退した。プロ野球選手は球団職員でも日本プロ野球の社員でもなく個人事業主。公式戦以外のイベントで怪我をした場合の補償が整っていない、報酬も整備されていない。断る権利もある。

第7章 吉見一起 エースの条件

「130球投げたって、一球ダメならあとは全部無駄になる」2009年、WBCで優勝した原監督率いる巨人が優勝。主力の引退、放出があり、中日の強さはこれから尻すぼみになっていくと予想された。

第8章 和田一浩 逃げ場のない地獄

「この世界は実力主義だ。年齢は関係ない」「打ち方を変えなきゃダメだ。それだと怪我をする。成績も上がらねえ」

なぜ若い選手を使わないのか?落合が求めていたのは若さが持つ勢いや可能性という曖昧なものではなく、確かな理と揺るぎない個であった。現役時代から、常識を疑うことで、ひとつひとつ理を手に入れてきた。2010年、中日はリーグ優勝した。日本シリーズではロッテに負けた。

第9章 小林正人 「2というカード」

「よくファンのために野球をやるっていう選手がいるだろう?あれは建前だ。自分がクビになりそうだったら、そんなこと言えるか?みんな突き詰めれば自分のために、家族のために野球をやってるんだ。そうやって必死になって戦って勝つ姿を、お客さんは見て喜ぶんだ。俺は建前は言わない。たてまえをいうのは政治家に任せておけばいいんだ」

新しい球団トップに就任した坂井克彦は言った。「強いチームを作らなくてはいけません。それと同時にファンを大事にしなくてはいけません。」落合の「勝つことが最大のファンサービス」という考えに対して「メディアを、ひいてはファンを軽んじている」という批判が渦巻いていた。

第10章 井出峻 グランド外の戦い

2011年7月、中日は首位ヤクルトから8ゲーム離され2位につけていた。落合は逆転できない数字ではなく、9月の直接対決が山場になるだろうと白井球団オーナーに言った。

白井オーナーは2011年シーズンで契約が切れる落合の去就について、成績は関係ないと報道陣に伝えた。つまり、優勝しても契約を切る考えがあるということだった。

2011年シーズンの始め、新しい球団社長の坂井は球団の人件費問題を調査した。球団は近年赤字を抱えるようになり、それは勝ち続けてきたことで高騰した選手、コーチングスタッフ、監督の年棒に原因があると考えた。これまで落合を擁護してきた白井は、球団のオーナーであるとともに中日新聞の会長でもある。それゆえ落合体制への批判があれば耳を傾けざるを得なかった。

2004年の監督就任時、落合と球団が交わした契約には、成績に応じて年棒を上げていくという条件があった。優勝すれば5千万円、3位以内に入れば数千万円というような増額である。これは元監督の星野、山田も同様だったが他の監督と違い、落合は勝ち続けた。7年間でリーグ優勝3回、すべて3位以内だった。契約通りに仕事をしたことで、解任となるというものだった。

「プロ野球というのは、契約の世界に生きているんだ。やりたいやりたくないではない。契約すると言われればやるし、しませんと言われれば終わり。契約というのはそれだけ重いんだ。オーナーと交わした契約書は家に大事にとってある。俺がやるべきことはすべてそこに書いてある。このチームを優勝させることってな」

第11章 トニ・ブランコ 真の渇望

メジャー、マイナーで結果を残せず、2011年に格安助っ人として2700万円で契約されたトニ・ブランコ。開幕前のキャンプでも空振りだらけだった。

落合は「俺たちは、お前の力を分かった上で契約しているんだ」と声をかけ、自らスイングしてみせた。ブランコは、他の多数のプライドの高い助っ人外国人と異なり「落合さんの言うようにやってみるよ」と言った。ゲームで打てないと試合後に居残り練習をする貪欲さがあった。そして1年目、39本塁打、110打点で二冠王を獲得。年棒も6倍になった。

第12章 荒木雅弘 内面に生まれたもの

2021年9月22日、リーグ2位につけている中日が、落合退任の発表をした。その日以降、15勝3敗2分という驚異的な数字でヤクルトと入れ替わり、中日が優勝を手にした。

なぜ現実離れした直近の勝率になったのか。落合退任発表の前、ジャイアンツ戦に負けたとき、球団のトップ、社長がガッツポーズをしたらしいという噂が出た。裏方スタッフだけの小さな噂話が、チーム内部に浸透していた。「勝つために練習して、長いこと休みなしでやってきて、なんで負けてガッツポーズされるんだ?」

まとめ

勝負の世界の厳しさを受け入れ、勝ちにこだわり、選手を叱咤激励し続けた落合博満監督の言葉は、現代を生きる私たちに響いてきます。建前でなく、本音で研ぎ澄まされた言葉が選手を鼓舞させ、結果を残す。そして、我々の記憶に残る名試合があったのだと思います。どんなに辛い逆境があるときでも立ち向かう気持ちを持たせてくれる名著だと思いました。

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